先生は1975年からCGを始められましたが、
CGをやりたいと思われたきっかけは何ですか。 |
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幼少の頃からの願望で、「宇宙に行きたかった」んですね。天の川銀河を飛び越えた別の銀河系、マゼラン星雲あたりまで行って未知の生命体に会いたかった。でも現実的に行くことは不可能だから、行ったらそこにいるかもしれない生き物を作ろうと思ったんです。ただ、スケッチやドローイングだと想像上のフィクションしか描けないけど、CGは「生成する」、「ゼロから作り出す」ということを計算して出来るので、CGを選んだんです。
それにアートに科学性を入れたかった。数学や物理、生物などの要素を入れながら、実証的なシミュレーションとして、生物を成長させたり、進化させたりできれば、かなり面白いアートになるんじゃないか、と。
そういう意味でCGは僕のやりたいことに一番近いメディアだったんですね。 |
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| 「宇宙へ行く」のは小さい頃からの夢だったのですか。 |
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| そうです。種子島出身ですから。宇宙センターがあって、目の前でロケットがあがるという環境に育ったので、ずっとロケットが上がる先の宇宙に憧れていました。種子島で育っていなかったら、全然違う人生を歩んでいたでしょうね。 |
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| その宇宙への憧れを抱いていた少年がコンピュータに出会うのはいつ頃なのでしょうか。 |
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1972〜3年の九州芸術工科大学(現、九州大学)にいたころです。当時のCGは「自動製図」と言われていたくらい、コンピュータは計算機としての意味合いが強かったんだけど、僕はそれをアートに使ったら面白い、と思ったの。CGでアート的な生命的呼吸の運動を表現したら面白いなぁ、と。
それで、幾何形体を呼吸・増殖させる、ということを始めたんです。
僕の中では「時間の造形」というのが非常に重要だったので、時間の中で変化していく作品を作りたかったんですね。大学時代は、とにかく幾何形体を回転、増幅させて動かすことに明け暮れました。 |
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